2011年3月31日木曜日

学ばない国家

今日で3月も終り、失意と絶望の月は終わりました。明日からは希望の光が差し込んで、暗黒の祖国に春が訪れてくれる事を願うばかりです。今の釣果は格別なものがありますが今週末から従来の放流をします、まずは西の知人からいただいたジャガーをご用意させていただきました。

連日暗いニュースばかりですが、ことさらに道徳心を炊き付けるようなコマーシャルにはいささかウンザリです。言われなくとも分かっている事ばかりですし、どう頑張れと言うのか具体性に欠けると思います。執拗に繰り返されるそれは国家のプロパガンダ同然で、太平洋戦争当時の世風をホウフツさせます。振り返れば国是の名のもとの戦争の結末は原子爆弾、その後遺症で亡くなった人々を含めると死者数は広島と長崎で計37万人余。かくなる核の恐怖を体験した国なのに、37万人余の尊い犠牲を無にして、数十年後にはこれもまた国是の名のもとに原子力発電所の建設増、そして今回の事故。地震津波は災害ですが原発事故は人災、国策の愚かさがまたも国民を暗黒の谷底にたたき落とした結果となってしまいました。嗚呼何と嘆かわしき日本なりや、物質至上の米国の価値観を捨て去って、本来の日本の、心物に重きを置く価値感を持つべき時に戻る時が来たように思います。

2011年3月22日火曜日

アガペーの愛

先週末はこの時節にもかかわらず多くのお客様にご来店いただき、厚くお礼申しあげます。
不謹慎ながら釣りに来た、と申される方が多かったようですが、暗い世情の中ひと時の安息があっても何人もとがめるものではないと考えます。しかし、当方の釣果情報なぞは営利的な行為の最たるもの、それこそ不謹慎きわまりないので慎みたいのですが、あまりに釣れるので露呈させてしまいます、地震以来ご来場者数が少なかった事が最大の要因です。50㎝級のヤシオマスはご来店全ての方が捕獲なさったようです。

多くのボランティアの方々が被災地に出向いているとの事です。その精神は称賛されるべきものではありますが、一部には自己満足を具現化している方々もいるようで、小生にはその貢献には少しの違和感があります。被災地においては、訓練されたプロフェッショナル達が職命にかけて奮闘している、足手まといにならない事を祈る。家族を亡くした人の悲しみは家族を亡くした人だけが、家を失くした人の絶望は家を失くした人だけが理解し得る事、御身が平和な人の励ましの言葉は彼の地では空々しく響く。少なくともご自分達の食糧、水は持参する、避難所の便所は使わない、当然だと思う。

故郷長崎の教会では、被災地の為の礼拝が毎日行われている事だと思う。遠く長崎で自分達の為に祈っている人々がいる事を、彼の地の人々は知る由もない、感謝もされない、それなのに祈り続ける、これは無償の愛、代償を求めないアガペーの愛なのである。この時節多くの国民に求められるべきはこの愛に裏付けられた支援だろうと確信する。

2011年3月17日木曜日

「沈黙」

諸兄、お元気か、被害はありませんでしたか、つつがなき事を願っています。

小社では、釣池の護岸が約30m崩落、養殖場のアユの約2割40万尾が斃死、ボデイブローは効きましたが、彼の地の同胞の苦難に比ぶれば軽微な事、与えられし試練と享受し、釣池に関しては昨日全て復旧させました。

またぞろ良寛の話で恐縮ですが、かつて三条大地震の時、子を亡くした母親を見かける事になった良寛和尚はどうしたと思いますか、嘆き悲しむ母親の横で良寛さんはどうしたか、一緒に泣いたそうである、母親の涙が枯れるまで一緒に泣いたそうである。悲しみのシェアリングと言うらしい。政府の首脳部よ、何もできないならそれでいい、未曾有の災害である、人知人力の及ばざるは納得してもいい、しかし何もできないのであればせめて取りつくろいは止めて、被災地に行って被災者と一緒に泣いたらどうだ、避難所に行って打ちひしがれる人々とともに泣く位の時間はさいてもいい、その方がまだ国民心情としては許容できる。有事、乱世において人の力量は計られる、自らの命と引き換えに国家を守る、彼らにはその位の決意が絶対に必要だと感じる。

しかしなぜこのような大災害が起きてしまったのか、地質学的な事ではなく運命的な疑問である。1万人余の人命が失われたとの報道もある、なぜ運命は平穏に活らす人々の命をかくも残酷に奪う必要があったのか、神はなぜ救いを与えなかったのか。まさに遠藤周作の著する「沈黙」である、今も肉親の無事を祈り続ける人々がいる、その祈りに神はいつまで沈黙を続けるのか、その祈りはすでに天に届いているはずなのに。

2011年3月1日火曜日

おにぎりの愚

お待たせいたしました、大型魚をご用意させていただきました。釣人には仰天の大物であります、しかしその仰天すべき大物、まさに天を仰ぐがごとくの大物の正体は、ご来店の方だけが知り得る事といたします。架電にてのお問い合わせは平にご容赦ください。
池中在庫が猛烈な勢いで増加しています、当分の間お持帰り尾数は30尾までといたします。

またぞろアユの仕入れで山口県に行って参りました。今回は無事な航海である事を祈りながらの出発、他の業務に追われて遅れめの出発、昼飯は車中でと決めコンビニのおにぎり2個を携えての出発となりました。買い込んだおにぎりは「鶏飯」と「サケのハラス」なるもの、軽快な道中でさてメシの時間、そこから悪夢のごとき時間が過ぎて行く事となります。
最初にほおばったのは「鶏飯」、こいつが何と一口かぶりついた時点で、残りがバラバラになって落下してしまいました。嗚呼、何たる事。消沈しながら原因を検討した。「鶏飯」はご飯一粒一粒が醤油タレの被膜に包まれ、その被膜が飯粒どうしの粘着性を阻害しているのだと憤慨した。片手で食べるには危険を要すと結論。
次に食らい付いたのが「サケのハラス」、気を取り直して一口、くずれない、おにぎりたるものかくあるべしと得心した次の瞬間、道路の段差。空荷のトラックは段差を正直に吸収してしまいます、そのショックで当おにぎりの最中央部に埋設してあるサケが、本体から離脱して落下、アクセルペダルの横に鎮座してしまいました。原因は、このサケは南米チリから輸入された銀ザケに相違ない、脂質の高いその魚肉の中でも最も脂の多いハラスの部分、その表面に浮き出た脂分が飯粒との結合を、これまた阻害しているのだと分かった。
かくして結局胃袋に収まったのは、一口の鶏飯と、これもまた一口の具の無いおにぎり。途方に暮れた道中でした。