2012年3月30日金曜日

東京電力御中

明日の土曜日、また雨の予報。いい加減にしてほしいと思いますが、こればかりは怒りの持って行き所がありません。表層のコーホーサーモンや物影の巨大イワナにとっても退屈な土曜日になりそうです。

Trout Hatcheryの1号池はまた藻類が元気に伸びています。池の透明度と日光の仕業、これへの怒りも持って行き所はありません。

来月から放射性セシウムの基準値が引き下げられます。当社も自費で検査依頼いたしました、結果は「検出されず」。やや安堵の感はありますが、なぜ被害者がこれを行わなければいけないのか憤慨しています。
来月から電力料金が値上げとなります。当社もその対象となり、電力に多くを依存しているアユ養殖では生産原価に大きい影響を与えます。本来値下げをして一連の事を謝罪しても良かろうと思いますが、図らずも極めて落胆する事となりました。
上記2点は怒りの持って行く場所があるだけに得心のいかないところであります。

しかし上記は利益を阻害された小生の私憤であり、声高に叫べば叫ぶほどその品格を問われがちなので我慢。
されど加害者の社長が運転手付きの黒塗りの車で闊歩、被害者の避難住民がバスで一時帰宅、逆であるべきである、これに関しては公憤であります。

2012年3月23日金曜日

巨大イワナ釣れてます。

またぞろ雨の土曜日、泣きの雨ではあります。池水の濁りは回復基調、朝夕にコーホーサーモンの活発なライズが確認できます。巨大イワナの思わせぶりな追尾も活況であります、この週末も200尾用意してご来店をお待ちいたします。

新潟県に出向いて来ました、サクラマス釣りで有名な加治川周辺であります。仕事を終え、たまには海沿いも良かろうと人気の宿にカミさんと泊まりました。全室から日本海に沈む夕日を眺望できる事を売りにしている温泉ホテル、平日だというのにかなりの混雑、稼働率の高さに起因する勢いが館内の随所に見て取れるの感。さて、日没の頃、曇っている、カミさんは部屋で、小生は露天風呂で売りの夕日を待つ事しばし、曇ったまま、感動の夕日を望む事無く日が暮れてしまいました。
冗談で客室係の方にその無念を伝えた、冗談で支配人風の方にも伝えた、はからずも両名の対応は同じ、決して無礼ではない笑みを添えながら、残念でしたとなぐさめられて終り。夕日が見れる宿と宣伝していても、晴れていなければ見える訳がない、しごく当然の事であります、宿としてこの事に責任が無い事、後ろめたく無い事を上品に客に伝える、これだ! 当walton Gardenの巨大イワナ、これがこの池に多数存在している事は事実でありますが、その釣果は天候や釣る場所、技量等の要因に左右されます、絶景と巨イワナ、これをはばむのは平素の行いと煩悩と言う事でしょうか。

2012年3月15日木曜日

ウォルトン追分

近頃マス類が低層に集中する傾向にあります。最深部で3.5mになる当池ではマス類の上下移動が激しく、水温の変動が多いこの時期は特に顕著になります、奥深くもあり、むずかしくもあり。
この好ましからざる傾向を打破するために、この週末はコーホーサーモン(銀ザケ)を放流します。コーホーは放流の即効性が高く、表層で激しい捕食活動をします、数釣りには最適な魚種であります。
巨大イワナ、引き続き200尾放流です。

上記の銀ザケ、岩手県より届きました、南三陸町の業者が輸送して参りました、民話の里遠野からであります。「絆」が流行語の昨今ですが、心の絆だけでは復興は成就しない、経済の絆をあわせて伴う事が強く求められる時に来ていると思います。かくなる理由で産地を選びました。

Trout Hatchery、土曜日再開、雨天決行の予定ですが、追加放流につきましてはご来場者数に応じました放流量とさせていただきます。藻類は完全に除去、池水は極めて透明、各池にそれぞれ銀ザケを1,500尾、ニジマスを500尾を金曜日に放流して諸兄のご来店をお待ちしております。WaltonかHatcheryか、岐路であります、追分であります。

2012年3月8日木曜日

No more Hiroshima,no more Fukushima.

春が近い事は間違いないのでしょうが、寒暖差による釣果のブレが気になるところです。これを回避するためには放流量を増加するしかないと考えています。封印されていた本能をムキ出しにする事を他の何よりも優先するであろう魚軍、これを投入する事が賢明と考えます。圧倒的な軍事力で物事を封じ込む米国的な手法を小生は好みませんが、不本意ながらこの週末は平素の1.5倍の放流を予定しています。活況の巨大イワナにつきましては2倍の200尾を放流します。

Trout Hatcheryは施設整備の為、3月16日(金)まで休業します。藻類を除去した上で、マス類を総入替えして17日(土)に再開です。

来る11日は大震災から1年になると言う事で、メディアも多く取り上げ、各地で追悼、支援のイベントが多く行われるようです。大災害の悲劇を風化させてはいけない事は重要ですが、ことさらの催しに小生としては違和感を感じます。昨今の国民が来年のその日までも同じ規模の関心を維持していけるのか、疑問であります。
高校まで過ごした故郷長崎、受難の地である長崎では、毎年原爆が投下された時刻にサイレンが流され、それを合図に全ての市民が1分間の黙とうをささげるのが普通の光景でした。仕事、授業、全て中断、教会の鐘が鳴らされるなか視野に入る全ての老若男女が脱帽して黙とう、幼少から見続けてきた祈りの光景でした。投下から六十余年を経ても続いている祈りであります、14万人余の犠牲を礎に核の危険を警鐘し続けている祈りであるのです。しかしその礎と祈りは軽視され、Fukushimaの悲劇を生む事になってしまった。歴史に反省しない愚かな祖国は、将来にも更なる悲劇を迎える事を危惧します。

長崎の人々は祈り続けて来た、新たな核の悲劇が起こらない事を。
広島の人々は訴え続けて来た、一切の核を排除するべきであると。