2012年3月8日木曜日

No more Hiroshima,no more Fukushima.

春が近い事は間違いないのでしょうが、寒暖差による釣果のブレが気になるところです。これを回避するためには放流量を増加するしかないと考えています。封印されていた本能をムキ出しにする事を他の何よりも優先するであろう魚軍、これを投入する事が賢明と考えます。圧倒的な軍事力で物事を封じ込む米国的な手法を小生は好みませんが、不本意ながらこの週末は平素の1.5倍の放流を予定しています。活況の巨大イワナにつきましては2倍の200尾を放流します。

Trout Hatcheryは施設整備の為、3月16日(金)まで休業します。藻類を除去した上で、マス類を総入替えして17日(土)に再開です。

来る11日は大震災から1年になると言う事で、メディアも多く取り上げ、各地で追悼、支援のイベントが多く行われるようです。大災害の悲劇を風化させてはいけない事は重要ですが、ことさらの催しに小生としては違和感を感じます。昨今の国民が来年のその日までも同じ規模の関心を維持していけるのか、疑問であります。
高校まで過ごした故郷長崎、受難の地である長崎では、毎年原爆が投下された時刻にサイレンが流され、それを合図に全ての市民が1分間の黙とうをささげるのが普通の光景でした。仕事、授業、全て中断、教会の鐘が鳴らされるなか視野に入る全ての老若男女が脱帽して黙とう、幼少から見続けてきた祈りの光景でした。投下から六十余年を経ても続いている祈りであります、14万人余の犠牲を礎に核の危険を警鐘し続けている祈りであるのです。しかしその礎と祈りは軽視され、Fukushimaの悲劇を生む事になってしまった。歴史に反省しない愚かな祖国は、将来にも更なる悲劇を迎える事を危惧します。

長崎の人々は祈り続けて来た、新たな核の悲劇が起こらない事を。
広島の人々は訴え続けて来た、一切の核を排除するべきであると。